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(Reblogged from shayol)
僕が思う「哲学」というものは、この隅田公園と隅田川河川敷が実は違う管轄で、それによって警察の動き方や行政の動き方が変わることを理解し、自分の暮らす場所を獲得するという行為そのものである。彼は匿名化していた「土地」を名のある大地として再認識した。つまり、レイヤー間をジャンプし、サバイブすることに成功したのだ。
その「考える」行為。匿名化した社会システムレイヤーの裂け目、空間のほつれを認識し、そこに多層なレイヤーが存在していることを認識し、ジャンプし、独自のレイヤーを作成する行為。
これが「生きる」である。
具体的に、高い解像度をもって空間に接し、生きのびる。これから必要になっていくこの技術を、路上生活者たちは実践していたのだ。
その「考える」行為。匿名化した社会システムレイヤーの裂け目、空間のほつれを認識し、そこに多層なレイヤーが存在していることを認識し、ジャンプし、独自のレイヤーを作成する行為。
これが「生きる」である。
具体的に、高い解像度をもって空間に接し、生きのびる。これから必要になっていくこの技術を、路上生活者たちは実践していたのだ。