April 2012
人間はある状況に置かれれば適応していきます。だけど、「自分が伸びるような状況に置かれない」ということこそが、たいていの人にとっては大問題なのだと思うんです。
津田 確かにそういう面はありますね。そしてネットで不満を溜め込んでいる人たちのお決まりのセリフも「自分たちは置かれている環境が悪い」といったもののような気がします。
茂木 ですから、やっぱりいくら日本人は苦手だと言っても、「自ら新しい状況を作る」ということは、あきらめてはいけない。そう思うんです。
” —ネット発「動員の革命」は日本を変えるのか - 中央公論.jp津田 原発に関しては、「今すぐ止めるよりも、自然エネルギーからの供給を少しずつ増やしていきながら、徐々に脱原発していくのがいい」と一般的には言われていますよね。でも僕は、きっと日本人にはそんなことできないと思っています。
むしろ、もし原発を停めるのであれば、来年の四月にでも一気に停めてしまう。そしてその状況に対して国民みんなで対応していく。このほうがずっとうまくいく気がするんです。
というのも、日本人は「変わりたくない」という欲求がすごく強いと同時に、状況適応能力が非常に高いんですね。これは被災地の取材をしていて、いつも感じることです。ある与えられた状況の中で、混乱せず、とにかくそこに適応していく力は本当にすごい。
” —ネット発「動員の革命」は日本を変えるのか - 中央公論.jp仕事が順調でプライベートも充実している人は、わざわざ人を貶めることにエネルギーを注ぎ込まないだろうなとは思うんです。ということは、もしかすると、僕に文句を言ってくる人たちは、自分自身の人生がすごく苦しいのかもしれない。そしてそんな人たちが世の中にたくさんいるのは、社会としては非常にまずいことだと思うんです。
「自己責任」という言葉があります。あなたは「自由意志」で動いたのだから、何が起きてもあなたの責任ですよ、という考え方です。でも脳科学的な知見から言うと、人間には「自由意志」はないんです。随意運動をするときは、行動する一秒前には準備電位が流れて、すでに身体は動き出している。つまり「意識」する前に無意識で動き始めているんですね。では「意識」ができることは何かと言えば、拒否権を発動することです。例えば、殺意を持つことは人間なら誰でもある。けれども、それを止めることはできるということです。
だから僕は基本的に、twitter で酷いつぶやきを僕に送りつけてくる人たちが、その人が置かれている状況の中で、この「僕に酷いつぶやきを送りつける」以外の選択をできたという立場を採らないんです。それは一つの果実のようなもので、土壌に問題があれば、自然と暴力の果実が生まれてくる。だからそもそも、そういう土壌があることのほうに問題があると考えています。
” —ネット発「動員の革命」は日本を変えるのか - 中央公論.jp「炎上」と「革命」は、基本的に同じものだと思うんです。「革命」が起きるとき、理念としては「自由を求めて」「民主主義を求めて」といった美しい言葉が掲げられますが、その原動力をよく分析してみると、何だか分からないものが混ざっている。
八月に起きたロンドン暴動は、「目的やスローガンがない、非常にゲーム的な暴動だ」と捉えられました。でも、何かの状況をひっくり返すときの暴力性を伴う動きは、すべてそういうものだと思うんです。一部の人は目的をよく理解して、自分の行動原理を理論化しているのかもしれない。けれど、実際に動くほとんどの民衆は、よく分からない欲望やエネルギーに突き動かされてしまう。リビアの革命にしても、ロンドン暴動にしても、十月に起きたフジテレビに対する反韓流デモにしても、それは同じだと思うんです。
近代革命の雛型とも言えるフランス革命について考えてみても、バスティーユ監獄を襲撃した民衆の中には、きっと愉快犯の人もいた。指導者の立場にあったロベスピエールにしても、もし彼に個人的な女性嫌悪癖がなければ、あんなにたくさんの女性をギロチンにかけることはなかったでしょう。
そう考えると、革命というものは、純粋主義者では絶対に成功させられないものとも言えますね。さらに言い換えれば、「いい炎上」と「悪い炎上」があるわけではなくて、物事が動くときというのは、すべて禍々しいものだと思うんです。
” —ネット発「動員の革命」は日本を変えるのか - 中央公論.jp- 「行動」せずして「経験」することはない。
- 「経験」なくして「感情」は動かない。
- 「感情」なくして「情熱」は生まれない。
- 「情熱」なくして「継続的に何かを続けるモチベーション」は生まれない。
- 「継続的に何かを続けるモチベーション」なくして、難しいことを実現することは難しい。