September 2011
最高でなければだめというなら、あなたは「マキシマイザー(最大化人間)」だ。
マキシマイザーは、買い物や決断をするたびに、最高かどうか確かめる。
「サティスファイサー」はまずまずいいものでよしとして、
もっといいものがあるかもしれない、とは考えない。
マキシマイザーは、客観的にみれば、
サティスファイサーより成功しているかもしれないが、
主観的にみると、そうでないことが多い。
たとえばマキシマイザーが、さんざん探し回って
ようやくセーターを一枚手に入れたとしよう。
サティスファイサーなら、よほどの幸運に恵まれないかぎり、
まずみつけられない掘り出しものだ。
さてそれを手にして、マキシマイザーはどう思うだろう?
注ぎ込んだ時間と労力に腹を立てるのか?
調べなかったオプションにもっといいものがあったかもと想像するのか?
もっと上手に買い物した友人がいなかったかと記憶をたどるのか?
他人とすれちがうたびに、もっといいセーターを着ていないかと横目で確かめるのか?
マキシマイザーは、こうした疑いや気がかりのどれかに、あるいは全部に、さいなまれる。
サティスファイサーは、ぬくぬくと安心して、町を歩く。
JJESP : Vol. 44 (2005) , No. 2 165-179
脇本 竜太郎, “存在脅威管理理論の足跡と展望―文化内差・文化間差を組み込んだ包括的な理論化に向けて―”, 実験社会心理学研究, Vol. 44, No. 2, 165-179. (2005) .
そばの香りや喉越しを楽しむために食べるときに音を立てることが許され、その点ではうどんや中華麺などと並んで世界的にも稀有な食品である。
蕎麦好きな人の中には、蕎麦とは香りと歯触りを賞味すべきものであるとして、「そばはもり(そば)に限る」というこだわりを持つ人もいる。食通で有名な文豪・池波正太郎の書生をつとめ、自らも蕎麦好きを自認するルポライターの佐藤隆介は、著書の中で「めんつゆに卵を入れようとしたところ、卵など入れてはいけないと池波にたしなめられた」というエピソードや、ざるそばすら供さない名店(佐藤は、海苔がのっていては蕎麦の香りが損なわれるからだろうと述べている)のような例を挙げ、蕎麦切り本来の滋味を味わうにはもりが一番であると述べている[1]。
多くの蕎麦好きは、新蕎麦の季節ともなれば特に蕎麦の味よりもむしろ香りを重要視する。そうした蕎麦の香りを存分に味わうには、空気と一緒に啜り込み、鼻孔から抜くようにして食べることによって存分に賞味できる[2]。また、新蕎麦の香り・歯触り・喉越しを楽しむために、つゆの代わりに水につけて食べたり、塩をつけて食べる食べ方も存在する。
” —蕎麦 - Wikipedia江戸っ子の蕎麦に対するこだわりや、関西との違いとして上げられる点は以下の様な点がある
1. もりを食うときは蕎麦の先だけをつゆに浸して食べる。これは、蕎麦の風味を味わうため。関東のつゆは濃いめなので、ちょっと浸すことで十分なため。
2. 口に入れたらあまり噛まずに飲みこみ、喉越しと鼻に通る香りを楽しむ。
3. 大きな丼にたっぷりと蕎麦が入っているのは野暮。少なければ2,3枚食べる。
4. 箸は割り箸。塗箸は蕎麦が滑るので好まれない。
5. 酒を飲むのでなければ、さっさと食ってひきあげるのが粋。
6. 蕎麦を食べることを「手繰る」と言う。
もちろんこれが正当という訳ではない。「粋」を重んじるが故の、意地や見栄による誇張が多分に含まれている。
” —蕎麦 - Wikipedia江戸→東京では、蕎麦を手繰ることに一種の「粋」を見出す高い価値付けさえ生じるようになり、「夕方早くに蕎麦屋で独り、種物の蕎麦を肴に酒を飲む」ことが、スノッブ(俗物根性)さも臭わせる趣味として横行するまでに至る。江戸では、蕎麦を食べることを「手繰る」(たぐる)ともいう。このような言葉を使うこと自体、一つの気取りと言える。
蕎麦つゆに蕎麦をたっぷりと浸すのは田舎者であり、江戸っ子はさっとつけて啜り込むのを粋とする、という風潮もあったことは、10代目金原亭馬生が落語『そば清』に、江戸っ子が「一度でいいから蕎麦をつゆにたっぷりつけて食ってみたかった」と言い残して事切れる、という有名な枕を付け加えているほどに顕著なことであった。
” —蕎麦 - Wikipedia